宝塚で再演され続けている、「ベルサイユのば

Writer: admin Type: booksonline Date: 2019-03-05 00:00
宝塚で再演され続けている、「ベルサイユのばら」について。2019年で、初演から45周年を迎えるそうですね。 宝塚で過去上演した演目の中で最も知名度が高く、代表作とも言われるベルばらですが、そこそこ宝塚ファンをやっている人ほど再演を嫌がっておられるように見受けられます。ツイッター等でも「ベルばら回避」を喜んでいる呟きをよく見かけます。45周年ということで、企画があるのではないかとピリピリしておられるのですよね。特に自担の組ではやめてくれと思っておられるのが伝わってきます。これはどういう理由からなのでしょうか?ちなみに質問者は、ファン歴が浅く、まだ一度もベルサイユのばらを観たことがありません。共感した0###私が考える理由としては二つ脚本演出の時代とのズレ再演の度に劣化する脚本かと思います。原作が世に出た時代は、ウーマンリブなどという死語となって久しい言葉が現役で使われていた時代です。本格的女性の社会進出が始まりつつあった時代、でも一方で上田久美子氏が『霧深きエルベ~』の演出家言でマルギットを評して言って居るような感覚も女性自身の中にすら残っていたような時代の葛藤の典型としてオスカルたちは時代に受け入れられた様な所があります。でもそれをその時代感覚のまま21世紀にやるとどうしても違和感を感じます。次に脚本ですがオリジナルベルばらは2本立ての1本として上演されました。翌年オスカルアンドレを主役にした花雪の1本立て公演、その翌年のフェルゼンを主役にした一本立て、この四組の昭和ベルばらで宝塚歌劇版ベルばらは一定の完成を見た訳ですが、脚本の植田紳爾氏は作ごとにそれまで入れる事が出来なかった名場面を追加し好評を得ます。結果、氏はその後のベルばら公演の度に新たな場面を入れる様になりました。結果、だんだんと主人公達の心の動きを表す様な場面がカットされ、本筋とは関係が薄い場面が追加される様になりました。またベルばらは昭和51年の星組編以来、大半の公演で役替わりをする様になりました。それも他組のスターをタイトなスケジュールをぬって出演させる様になりました。ジェローデルやフェルゼン編のオスカルであれば出演場面が限られるのですが、オスカルアンドレ編のアンドレを他組特出にすると稽古の関係でアンドレが出る場面の数とその場面に出る出演者の数が限られる様になります。となるとまた脚本がいびつな形になって行きます。これらの繰り返しが、ベルばらは本来名作かもしれないがあんまり見たいと思わない、役替わり公演で何度観ることになってウンザリする、という事につながるのかと思います。なので、21世紀に仕事をしている演出家に1から脚本を作り直してもらって新演出なら見たい、というのが長年ファンやっている人の声かと思います。ナイス0
###ありがとうございました。興味深かったです。根本的な話からはややそれますが「本来、宝塚の魅力は役者優先の脚本(宛書)であるところ、逆に役者が演目の犠牲にされちゃった」という言葉にもなるほどと。演目に対して渋面になる理由は色々あれど、ベルばら回避を喜んでいる方々はきっとこんな風に思われていたのでしょうね。迷いましたが、BAは脚本変遷の事情や役替わりについて詳しく教えてくださった方に差し上げます。###他のファンのお気持ちはわかりませんが、以下、わたし個人の場合です。「ベルサイユのばら」は、何度も上演されていますが、そのたびに新しい脚本が書かれます。もちろん、過去のバージョンと同じ場面もたくさんありますが、なにかしら新しい場面、新しいエピソードが加わってきます。新しいエピソードであっても、原作の漫画にあるものならまだいいのですが、舞台オリジナルのエピソードやせりふもけっこうあります。そのたびに「こんなのベルばらじゃない」「オスカルはこんなキャラじゃない」という、小さな違和感が生じます。一回一回の観劇では小さな違和感なのですが、それが積み重なっていき、「もうベルばらは見たくない」という心境になりました。客観的に見れば、宝塚を代表する作品であることは、今も変わりません。宝塚なればこそ舞台化できた素材です。日頃宝塚に興味のない友人も「ベルサイユのばら」なら見たいと、誘いに応じてくれます。なので、再演自体に反対しようとは思いません。ナイス0
###5年くらい前に、一人で主要キャラほぼ全役制覇した男役スターさんも居ましたから(苦笑)。卒業までに演じられる役の数には限りがありますから、トップ〜2番手時代の半分が同じ演目だとしたらファンは悲しいでしょう。本来、宝塚の魅力は役者優先の脚本(宛書)であるところ、逆に役者が演目の犠牲にされちゃったわけです。先立つ回答で出ていないと思われる理由を付け加えてみます。・ショーがない(一本立て公演である)から宝塚は大抵、お芝居とショーの二本立て。ショーこそ宝塚の存在意義である、というファンもけっこういますよね。あとは贔屓のスターが踊れる人な時とか。一本立ては役が少ない→若手や脇役の出番や台詞が少ない、とかも。近年は、輸入物ミュージカルの上演で一本立てが増えているので、その上さらに時代遅れのベルばらまでやらんでも。てな所でしょうか。(私は正直エリザベートも飽きてます)時代遅れ、と書きましたが、私は古いスタイルにベルばらの良さがあると思っているほうです。たしかに、中身・演出、両方の面で、「流行り」のスタイルではないですね。植田版ベルばらが今の時代に敬遠される理由はよっくわかる。後続が軟着陸を試みてるけど難しい理由もわかる(気になる方は過去の植田紳爾作品を片っ端から見ればたぶん分かります)。でも丸ごと捨ててしまうには勿体ないんです。良いところ、を上げておきます。演劇は身体表現なので、様式美や「型」が物を言う場合もありまして。宝塚の演出家には、破綻がない芝居を書ける先生と、脚本の矛盾やツギハギを役者にミエ切らせて乗り切る歌舞伎的な先生がいて、ベルばらは幸か不幸か後者の代表の植田センセの手になるもので。広い大劇場で大見得きる技術もスターのスターたる所以ですので、難しいこと考えず主役たちの決め台詞を堪能できる作品と思えば気楽です(その点では歌舞伎よりはまだまともな脚本です。死人が生き返ったりしないし)。生徒も、在団中に一度は経験して一皮剥けるには良いのかもしれない(何回も、はいらない)悩ましいですね。生徒さんを思うと、他の演目をやれるチャンスを手放してまで演じてほしい、とは言えない(他の演目が駄作でない保証もないが)見に行く立場とすると、ドリームチームみたいな各組選抜で一公演(45日)とか。だったら5年か10年間隔でもよいかな。あの荘重な音楽と小公女と輪っかのドレスで幕が上がるのがベルばらの醍醐味であって。個人的には平成版か2000年版が好きですが、初見の方には、機会があれば映像より先にまず、劇場でナマで体験してほしいですね。長文ごめんなさい。そして最後に煽り文句を。エリザベートもオーシャンズもロミジュリも宝塚の外でも観られるけど、ベルばらだけは、宝塚でしか観られないのです。ナイス0
###〉これはどういう理由からなのでしょうか?否定弁証法。歌劇団がやりそうだ(正)、抗議反対やむなし(反)、公演決定(合)。「オスカル様が死ぬなんてイヤです!わかっていてもイヤです!!」というのが、かつてはこの(反)に相当したのではないか、と思いますが、現在そういう発想ができる人というのは非常に少ないのではないか?と思われてなりません。その代わりとしての「(公演は)やめて下さい。しないでほしい。」反応。(それと「自担」というのはジャニーズ用語なんじゃないですか。あるいは、ジャニーズ流れ用語。わらわらと増加していきつつあったジャニーズアイドル数に対して、(ファンである)自分が過度に振り回された果ての恋愛妄想に溺れきることなく、社会的な距離感をどのように保持するかの必要性に迫られた時期に自然発生的に現れた用語かと。)宝塚はひとつです(公式見解)。(但し、知恵袋の宝塚カテゴリーに貼り付いている「おじさん」たちまで含める気は、私はそれほど特にありませんけどね。)ナイス0
###衣装は豪華です。登場人物も、個々には魅力的に感じます。でも、演出、セット、台詞、進行等、とにかく古く感じてしまうのです。あとは、宝塚=ベルばらという一般的なイメージに対する反発もあるかもしれません。ナイス0
###はっきりしたことは言えませんが「飽き」なんじゃないでしょうかね。たしかにベルばら は宝塚を代表する作品ではありますが、今は負けず劣らず大作と呼ばれる作品が数多くあります。良い作品が多い中で、ベルばらが今のジェンヌさん 未来のジェンヌさんが憧れるような演目か?と聞かれると私はそうは思いません。ベルばらの場合、セリフ回しなど一定の決まりがあるようですしちょっと古くさいと思われても仕方ないのかもしれないな、と思います。ナイス0

 

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